11月15日、滋賀県立大学の瀧健太郎准教授(流域政策・計画)をお招きした「小さな自然再生」の講演会&ミニフィールドワークが行われた。
小さな自然再生は、人の手で石を積んだり、魚道を手づくりしたりして、川に生き物を増やす手法で、活動を通して人々の関心を川に向けるという効果もある。
フィールドワーク
講演に先立ち、鮎喰川の支流でほんの小さな自然再生を行ってみた。
行った手法は「バーブ工」。流れに対して上向きにする水制で、特に鋭角にするほどそう呼ばれるという。釣り針の返し(バーブ)をイメージするとよい。この水制によって、川の流れを反転させ、流れに変化を与えられる。
ただし、下向きはNG。水勢の根本がほれ、護岸の損傷につながるという。
昭和から平成の河川改修で、川幅は広くなり、堰などの落差工により、川の流れはゆるくなり、水も浅くなった。かつては洪水の度に大きな石がごろごろと転がって洗われていた川にも、泥が貯まるようになり、生物も減った。鮎だって好むのは淀みにある茶色いコケではなく、瀬にある若い苔だ。
実際、この現場も数十メートル下流に砂防ダムがあり、流れに変化がなく、のっぺりとしていた。
15分ほど石を積むだけで、簡単な水制が完成。
流れが強い部分は苔が剥がれて、石本来の色が露出した。
石の下流側は砂が踊り、上を歩いただけでフカフカになっているのが確認できた。
バーブ工の効果とは厳密には違うかもしれないが、第十堰などの斜め堰は浅いところと深いところができるとおっしゃっていた点を補足しておく。だから渇水になって魚が移動できるという利点がある。水面に対して垂直なものになると薄っぺらくなってしまう。
講演要旨
京都大大学院、民間企業を経て滋賀県庁に入庁し、河川整備計画や多自然川づくりに関わっていた瀧さん。現在は滋賀県立大学の准教授として、「地域に愛されるのがいい川」を信念に、身近な川に人や生物を呼び戻す「小さな自然再生」に取り組んでいる。
例えば、堰堤に木材で作った手作りの魚道を設置したり、土のうや石を積んで流れの変化を生み出したりして、川の生き物を増やそうとしている。滋賀県立大学の環境科学部では必須科目となっているという。
小さな自然再生の条件は「自己調達できる資金規模」「多様な主体による参画と協働が可能」「修復と撤去が容易」ーの3点であると瀧さんは話す。
大規模な資金調達が必要な範囲になると、活動が重荷になってしまう。「ついでにできる」活動規模が継続につながるのだと瀧さん。「NPOや自治会の活動に絶対に行かなくてはならないとなるとしんどくて仕方なくなる。今日は気分が乗らないからやめておこうでもいいというハードルの低さが大切」と話す。
撤去の容易さもハードルを下げる鍵だという。
瀧さんはかつて、県庁時代、滋賀県の野洲川で4億円の魚道を作った時代の経験がある。税金を投入した大事業。入念に魚の調査をし、設計したが、「最終的に魚の気持ちはわからない。しばらく怖くて完成した魚道を見に行けなかった」。小さな自然再生では、うまく行かなければ改造するなど、自然と対話しながら進めるプロセスが生まれる。万が一、地元とトラブルになっても、撤去をすればよい。
多様な主体による参画と協働は、小さな自然再生の肝になる。市民、行政、企業、専門家が関わり、子どもたちも巻き込む。川を好きになり、目を向けるようになることが重要なのだ。
注意点としては
・洪水の流れを邪魔しないか
・洪水で流されたとしても大丈夫か
・景観への配慮
・地域の理解
などが挙げられる。
成功には、行政の協力が得られるかはポイントになるという。といっても出資してもらうような大掛かりな強力でなく、「やってもいいよ」という見守るレベルの協力を得られるかは、重荷を背負わずに済むコツであるようだ。
行政が進める施策を追い風にするのもポイントだ。例えば環境基本計画に「川の再生を進めます」と書かれていれば、それを持ち出すことで行政も簡単にNOとは言えない。
最終的には「地域全体にプラスになることが説明できるか」が重要だという。
小さな自然再生の事例については、ここに詳しい。
http://www.collabo-river.jp/works/
詳細はリンク先の事例集に譲るとして、講演で面白いと感じたポイントを箇条書きにする。
・みんなで土のうを積んで作った魚道で鮎がのぼることが確認されたことで、行政が本格的な魚道を設置した。
・小学生が堰堤に荒縄を垂らすだけの自然再生でも、モクズガニが遡上できるようになる。
・芸大の学生が卒業論文でアートな魚道を作った。魚はのぼらなかった。でもそれでもいい。
・農業用のゴム堰を連続で倒して人為的に洪水を作り、川底を洗おうとした際、土地改良区の役員には「なぜ県のことに協力しないといけないのか」と最初は反対された。しかし、その川で子どもたちと行っていた小さな自然再生に、役員の一人の孫も参加していたことが糸口となり、実現した。
・ビワマスを川に呼び戻すために、川底を耕したり、手づくりの魚道を作ったりした。(川底を掘り起こしてふわふわにすると、ビワマスが産卵するようになる。かつては水がよく動いていたため、そのような状態が続いていた)
・魚道は数年かけて改良を繰り返し、ついにビワマスがのぼった。それは新聞でも報道され、地域の人の関心も高まり、地元の人のビワマス密漁の監視団もできた。こうして、地域の人の目が川に向くようになった。