[お堰カレッジ]第2回「嘉田由紀子さんのお話ふりかえり」

※このまとめは、10月4日にお堰の家であった嘉田由紀子さんの講演をメモしたものをまとめたものです。嘉田さん直接の発言ではありません。

流域治水のエッセンスは、嘉田さんの表現で「近い水」、大熊孝先生(祝・2020毎日出版文化賞受賞)の表現で「民衆の自然感」を取り戻すということだ。

嘉田さんは、琵琶湖の自宅前に「橋板」を設置した。するのに2年かかった。それはほんの小さな桟橋であるが、設置には2年を要したという。
理由は、琵琶湖が一級河川であり、河川法24条によって工作物の新築ができないからだ。

“河川法 第二十四条 
河川区域内の土地(河川管理者以外の者がその権原に基づき管理する土地を除く。以下次条において同じ。)を占用しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。”

結果的に許可は出たが、「環境教育施設」というくくりとなった。
嘉田さんは橋板は「生活文化財」であると主張。これが、管理者と生活者の認識の違いだと指摘する。

川は国や県の管理になることで、住民から遠ざけられてきた。
河川法内には、「許可」という単語が200以上も登場するのだ。

嘉田さんは、国に流域治水への方向転換させた立役者だ。
実現ため、2019年の当選以降、「国道交通省の若い職員をオルグした」という。
ダム反対派の敵とみなされていたが、「怖い人ではない」「みんながやりたいのは命を救うことでしょ」「流域治水は敵ではない」と説いていったという。
今年6月12日、河川局長が急に私の部屋にきて「流域治水でいきます」と伝えたれたという。

だが、現状の国の流域治水は、嘉田さんが唱える本来の流域治水のエッセンスを取り込めていないという。
本来の流域治水とは川との関わり、「近い水」「民衆の自然感」を取り戻すことだ。

温暖化で洪水が増え、海水温度が2度上がったら、雨量が2倍になるとされる。
例えば、今年の球磨川の洪水は計画高水を超えていた。これは川辺川ダムがあっても溢れていたということだ。

嘉田さんは、自身の研究スタイルの基盤とも言えるフィールドワークの結果から、その理由を説明する。

2018年の西日本豪雨の被災地、倉敷市真備集落では51人が死亡した。
実は、地域にはハザードマップが存在し、その通りの洪水が起こった。しかし、ハザードマップの存在を住民のほとんどが知らなかった。しかも、ハザードマップ真っ赤なところに特別支援学校もあった。なぜだろう。

真備では、これまでも明治から昭和にかけて大水害が4度あったが、死者は出なかった。
その理由を探るため、嘉田さんは真備町史を調べたところ、かつてあった水害予防組合が解散していたことがわかった。

明治政府の水害対策は、河川工事と水害予防組織のセットだったと嘉田さんは話す。
水害予防組合は、水害予防のための河川改の費用を自己負担すると同時に、365日、朝と夕の水位を調べていた。

水防団は、水害時の堤防補強などを、周囲の木を切って行うなどしていた。
水防の時には、木を切ったり、ものを移動したりは、勝手にやっていいという不文律があった。

しかし、真備の水害予防組合は1974年に解散した。それまで毎朝水位を測って「川は自分たちのものだ」と備えていた。それは「近い水」であったということだ。

しかし、昭和39年の河川法以降、住民は川の管理やらなくていい、お金も出さなくてもよい、でも口も出せなという方針なった。住民にとっては楽だが、水は遠くなった。

もう一つの事例は、2018年の肱川(愛媛県)の水害だ。
肱川の野村ダムの下には集落があり、約650戸が浸水し5人が死亡した。
この時は、消防団の戸別訪問し、住民に避難を説得したという。だがその時も住民は「ダムができたから安心だろう」という反応だったという。
正確な数字はわからないが、消防団は数百人を強引に避難させた。その結果、多くの命が救われていたが、数百人がなくなっていた。

「ダムを作れば安心」ではないということと、消防団などの組織が被害を防いだという事例だ。

嘉田さんがダムの管理事務所を訪ねたとき、ダムを操作した職員はPTSDで休職中だと聞いたという。
大雨の時の河川の流量は読めず、ダムの操作は難しい。
大熊孝先生も「自分か河川工学者ダムの操作だけは絶対にやりたくない」と言っていたという。

しかし最近、ダム操作について大きな転換が起こった。
これをやったのは「縦割り行政打破」を掲げる菅義偉総理大臣だ。

水害規模の大雨が予想される場合、ダムは事前放流して貯水量を減らし、水を多く貯められるようにする。

しかし、多目的ダムは「利水」と「治水」の両方の機能がある。
これは貯めた水を使うことと、水を抜くという全く違う機能によるものなので、操作が相反する。
一つの多目的ダムでも、治水は国交省 発電は経産省、水道は厚労省、農業用水は農水省と管轄が全く違っているのだ。
菅総理は、批判もされる「人事の掌握」という政治手腕によって、それを実現させた。

それでは、ダムに変わる流域治水はどのような考えなのか。
嘉田さんは「論文だけでは社会は変わらない」と学者から滋賀県知事に転身。知事時代に滋賀県流域治水条例(2014年3月)を取りまとめた。

流域治水の目的は
・人命が失われることを避け
・生活が困難になる被害(床上浸水)を防ぐ
ことだと言う。

ダム以外の治水の方法として、
・堤防の強化、河川改修
・森林保全
・地域水防強化
が挙げられる。

堤防の強化や河川改修も、地元の工事業者が行う小さな事業の積み重ねを重要視し、結果的に大手ゼネコンが主導するダム建設とは違う経済的な効果も地域に得られる。

住民にリスクを知らせるのも重要だ。
行政は「地価が下がる」と言われることへの懸念から、リスクの周知に及び腰だが、リスクを知らせないのは不誠実なことだと言える。
そして水があふれる場所には、土地利用と建物規制を行い、新たな市街地区域を作らないというのが流域治水の考え方だ。

そして、最も重要で、吉野川の流域治水案に書かれていないのが、洪水への「備え」だという。
住民と川の距離が近くなり、普段から川に目を向けておくこと。
「良い子は川で遊ばない」と川を人から遠ざけるのではなく、川は楽しい場所として「近い川」を作れば、川の問題を住民の自分ごととにできる。
かつての洪水の経験をおじいちゃんが孫に伝えたり、自分たちで地域のハザードマップを作るなど、様々なアイデアで住民による水防意識は高められるのだと嘉田さんは話す。

11月6日夜のお堰カレッジでは、このお話をふりかえり、吉野川の流域治水計画に足りないものや、自分たちにできる流域治水を考えます。

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