姫野雅義さんの言葉

2002年、川の学校、善入寺島の川原にて

「1960年代、大人にとっては後悔する時代でした。川、海が変わって行きました。 1960年代は、今までの歴史で一番変わった時代。それからの20年間で日本人自体がガラっと変わってしまった。

今までずっと後悔してきたことを、これからは変えるぞ、という挑戦する思いや、本物の川ガキになろうな、というこの川の学校はその時の反省からできました。

僕らの世代の体型はみんな、こんなんだよね。
野田さんが言ってるけど、日本人は外国人と喧嘩するときにはカヌーに乗ったらいい、って。それは座っていると同じ位の高さなんだけど、立つと外国人のほうがずーっと背が大きくなってしまう。
日本人の体型は、ずーっとこんな体型で続いてきたのに20世紀の20年間ほどで変わってしまった。
平均身長、変わったでしょう。10cm位。食べ物も変わった。我々の世代はほとんど肉を食べなかったからね。君達は肉をたくさん食べるでしょう。
これだけ人間の骨格は変わったっていう人種は今までの世界史の中でどこもないよ。
カッコ良くなったけどね、本当は怖い部分があるね。

そして、考え方も変わってきた。
川の学校ができるキッカケになった吉野川の可動堰の建設問題。それに対してみんなで反対運動をして、住民投票をして、その計画が白紙になりました。日本で初めてのことです。
自分達の遊んだ川を、きれいなままで子供達に渡したいな、という大人達が、何万人という大人達が動いたんです。そして、とうとう国が作っていた可動堰の計画を白紙撤回した。
それから、どうする?って話なんです。

今ね、30年より前に楽しめた吉野川みたいな川がほとんどなくなっているんだけど。そういう川を変えた一番大きな原因っていうのはダムなんだよね。
この前、早明浦ダムに行ったよね。近くのおじさんが話してくれたね。
そのときに僕も最後に言った。ダムを作ってしまうと人間の気持ちも壊されてしまう。だけど、もっと川が壊される。川には、いろんな命が、海に行ったり山に行ったりする・・そういう循環があって、その中で人が生活してて、いろんな生き物への優しさやそれを食べて美味しいっていうことがある。でも川が壊されると、そんなものがどんどんなくなっていく。

ダムが作られると、そこにお金が動く。1000億とか2000億とかの大変なお金が動く。
ダムが作られると村が沈むから反対する、そうするとお金を持ってくるのね。「賛成してくれるとあなたにお金あげます。」って。お金で自分のふるさとを売ってしまうことになる。いやだと言うと皆からのけものにされてしまう。
そういう形でダムっていうのはいろんな今まで平和に暮らしてた人達の気持ちを変えてしまう。
そういう時代があった。

確かに、ものがたくさんできて、豊かになって、体格だってカッコ良くなったかもしれないけれど、そういう形で自分のふるさとがなくなって、川がなくなってしまって、あとは愚痴しかでない。

吉野川の運動でよかったな、というのがひとつある。
国のすごい力、お金がたくさんある力に対して、自分達の川が、これが本当に素晴らしい川なんやと気がついて、ひとりがひとこと言う、20万人がひとことずつ言ったら、20万ことになる。そういうことをやったら変えられる、っていうのがわかった。
そういう吉野川を持っとることが自分達の誇りや。

日本中の川にダムができる。全部川が変わっていく。
みんな同じことを言っとる。「ダムができる前はうちの川はものすごく良かった。日本一の川だった。」って。
でも、そのことに気がついたのはダムができてから。
そして、川をダメにしたのは最終的に自分達やということを心の奥ではみんな知ってるわけ。「自分が一番大事なものをお金で売ってしまった」ということをみんなどっかで気づいている。
いちばん怖いのは、すでにそういう形でやってしまったこと、つまりプライドがなくなってしまったことが一番怖い。

吉野川で川の学校を作れた。
問題が起こったのは10年前。そのときに、こんなんできたらええな、と思っていたわけ。
そして、ほんとにでけた。本当に嬉しかった。君達が来てくれて嬉しかった。
何が嬉しかったかと言うと、大人達が、こういう形で吉野川を守ったよ、って川の学校で君達を迎えられるのが嬉しかった。

次に君達にして欲しいなーって思うのは、本当に良い川を守ったら、これだけ楽しいことがあるってことを、それを多くの人に伝えて欲しい。

かなり今、日本の自然は厳しい、ホントに厳しいんだよ。
今地球の環境問題は怖いことになっている。新聞見て知ってるよね。
おとといの新聞にこんなん、載ってた。
世界の霊長類の三分の一が絶滅寸前にきているんだって。人間に一番近い動物だよね。
5年ほど前に日本で環境問題をやっているトップクラスの先生を呼んで講演してもらったことがある。その人は環境庁の役人をやめた人。環境庁にいたら良い研究ができないって言って自分で研究所を作った人。
その人が言ってたけど、地球の環境問題は間に合わないかもしれないって。このままだと、こうなったら学者が研究しているのは人々がパニックをおこさないで、どうやってこれからを見守るか、という研究をするしかないって。
もう、手遅れになっているかもしれないって。すごい怖いよね。
でも、そこまで追い詰められてるかもしれないけど、人間が本当にやる気になれば変えられる、そのひとつの例が吉野川なんだ。

長野県は山の多い国で、ダムがいちばんどんどん作られたところ。日本でいちばんきれいなところだったんだけど、ダムができてメタメタになったっていうところ。
そこで田中知事が脱ダム宣言をした。子供達のために良い川を残そうって。そうしたら議会が知事の不信任を出してやめさせられた。でも長野県民がどうしたかというと、少々のお金よりも本当に大事なことは何かということで、田中知事を支持した。
そんな風にできたのも徳島で、やればできるんだってことが広がって行ったんだと思う。

だからそういう風に今からこれから、地球の環境とか川の将来が非常に厳しい中で、ほんのちょっとした勇気やほんのちょっとした知恵が大切。
君達が大きくなっていくときに、そういう知恵と勇気を見につけていってくれれば、これからどんどんどんどん良くなって行くかもしれない。そういうことで、この川の学校というのは君達が2回目の卒業生になるんやけれども3回目になったとき、次の子供たちを先輩として励ましてやって欲しいなと思います。」

※NPO法人和の学校さんが録音、テープ起こししたのものを掲載させていただきました。

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